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八ツ橋にはコメントで色々な知識を皆様から頂戴し、大変勉強になりとても楽しかったです。(手作り八ツ橋やさんの記事の皆さんのコメント参照) 生八ツ橋と焼いた八ツ橋のどちらが先に作られていたのか、という疑問を皆様と同様に私も感じ、八ツ橋に興味が湧き、ネット上だけですが検索して調べてみました(^_^) 写真は八ツ橋検校。 (聖護院八ツ橋の公式サイトから画像はお借りしてます。) 【形の由来】 半円形はお琴の形。→ほんと、そっくり! 【名前の由来】 江戸時代初期の八橋検校(やつはしけんぎょう)から名命。近世箏曲の開祖。彼は目が見えなかった。作曲家兼演奏家。八橋流開祖。 【お琴の八橋流って?】 現在の生田流、山田流の源流。→生田流ってよく見ますよね! 【お菓子が作られたきっかけ】 八橋検校(やつはしけんぎょう)は1685年6月12日没。 1685年といえばヨーロッパでは楽聖バッハが生まれた年だそうです。→思ったよりバッハは新しい人だなあ。 八橋を偲び門弟たちは彼のお墓のある金戒光明寺(公式サイト)にお参りのために足をしげく運んだ。 そして没後4年経った元禄2年(1689)、黒谷参道の聖護院の森の茶店でお墓参りに来る門弟達が琴の形に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付けて参拝客に発売するようになる。→それで黒谷に聖護院のお店があるのね!びっくり。 【生八ツ橋が誕生したワケ】 生八ッ橋とは、八ッ橋を焼く前段階のものを蒸した状態のもの 昭和35年「表千家即中会」の茶席で生八ッ橋に餡をくるんで出したところ好評を得て、後に商品化したとのこと。1947年には既に作られてはいたようです。 →つまり、固い八ツ橋が元祖なのですね。 (続く) !お知らせ!新HPに引っ越しました。新しい情報は新HPにあります。
by ilikewalking
| 2004-05-20 12:36
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